vales 夜会は退屈で、ヴェインはハッキリ言って好きではない。 そもそも、彼には、コネクションを作る必要もなかったし、伴侶を選ぶという目的すらない。しかし、集まった女性達は皆、一様に『妃』の座を夢見て、流し目を仕掛けてくる。 そう言った女性の仕草にも、正直なところヴェインは辟易していた。 あれは、ヴェイン・ソリドールを求める視線ではなく、将来の『皇后』を求める視線。 (私自身は、その座には縁遠いのだがな……)と思うと、女性達の視線は、的はずれで、いささか気の毒になる。 本当に純真に自分を求めてくれるのは、弟一人だったが、ヴェインはそれで幸せなのだ。 執務を終え、夜会に向かわなければならない時間が近づくが、腰が重い。これならば、親友の難解な研究にでも付き合っていた方が余程楽なような気もする。 しかし、これで夜会に顔も出さずに帰ったとなれば、父帝やジャッジ、それに元老院たちの態度は目に見えている。わざわざ、足下の危ういヴェインが、その足場を崩すようなことをするわけにも行かない。 適当に、何人かの『姫君』のお相手をして、有力者と会話を交わし、終始笑顔で――――………。 考えただけでも胸が悪くなる。 ふぅ、とため息を吐いたところで、コンコンと遠慮がちなノックが聞こえてきた。入室を促すと、大きな扉を開いてやってきたのは最愛の弟ラーサーだった。 「ラーサー、どうした?」 ヴェインは今までの重い腰はどこへやらという風情で足早に弟の元に寄った。今まで気鬱だった笑顔も自然に顔に乗る。 いかめしい顔で、実年齢よりもフケて見えるというのがヴェイン・ソリドールの定評だったが、今日は、年相応の柔らかな笑顔が乗って、穏やかな好青年という風情だ。 「あの、兄上も、今日は、夜会に出られるのですか?」 「………まぁ、気は進まんが、父上の命令と在れば致し方ない」 ため息と共に嫌々と言われる言葉がラーサーには少し意外だった。 「夜会は楽しい場所と聞きましたが、そうではないのですか?」 ラーサーの無邪気な質問に、ヴェイン・ソリドールは一瞬押し黙った。楽しい楽しくないは主観の問題だが、これは一般的には『みんなは楽しんでいる』方なのであって、ヴェインの方がマイノリティだ。 「目当ての女性でもいれば楽しいのだろうが、私の場合は、そう言った方も居ないし………周りは、気の毒なことに、ギースやらガブラスやらベルガやらだ」 ぴたり、とラーサーの顔から笑顔が消えた。ヴェインは、何かまずいことを言っただろうかと思ったが、とりあえず内容に問題はない。 「兄上には………その、………」 「ああ、決まった女性は居ないし、婚約者も居ない。――――私が唯一愛するのは、お前だけだ」 何の臆面もなくさらりと言われる言葉に、ラーサーは無邪気に「僕も兄上が一番好きです」と答えた。 「―――しかし、行きたくないといつまでも駄々をこねていても致し方がない。兄は夜会に参るが………」 部屋まで送ろうか? と言おうとしたヴェインの言葉を、ラーサーが遮った。 「ここでお待ちしても良いですか?」 「………夜遅くなるから、先に休んでいることを約束するならば、ここにいても良いが………」 きっと、起きて待っているのだろうな、と思うと子供は早く休ませなければと思う自分と、それでも、起きて待っていてくれるラーサーのけなげさが可愛いと思う二人の自分がヴェインの脳裏を過ぎっていく。 「では、ここにいます」 「わかった、では、私は夜会に向かうとしよう」 普段ならば、特に表情を取り繕ったりはしないが、今日は、部屋でラーサーが待っていてくれると思うと、緩む口元を隠すのに必死で表情を取り繕わなければならなかった。 おかげで夜会など上の空だ。けれど、楽しい想像を巡らせているヴェインには、夜会の時間すらあっという間に過ぎていく。 何度と無く姫君達と踊るように言われて、その通りに踊ったが、そつなく一通りこなしていただけだ。 父帝はムッとした表情だったが、元からそれほど折り合いも良くない父の姿など見るはずもなく、父帝の様子を知ることはなかった。 女性達の美しい笑顔は、さすがのヴェインも客観的に美しいとは思うが、それだけだ。心を和ませてくれるのは、ラーサーだけだ。血塗られた道を往くヴェイン・ソリドールだったが、心の奥底で求めているのは、心の安寧である。 どこかとりつく島のない皇帝候補に、姫君達は秋波を送るだけで、近づくことも出来なかった。 夜会を終えて部屋に戻ると、ラーサーの姿が見あたらなかった。 おとなしく寝台で眠ったろうかとおもって寝室に向かうが、ラーサーの姿は見あたらない。 「ラーサー?」 思わず、自分が暢気に夜会に出ている間にラーサーの身に何かが起きたのではないかと、ヴェインは背中に冷たい汗が伝うのを感じた。 「ラーサー、ラーサー………ラーサーっ?」 完全に取り乱して部屋中を探し回るヴェインだったが、ラーサーの姿は見あたらない。 (落ち着け) とヴェインは気を落ち着かせた。そうだ。ラーサーはいい子だ。兄との約束を違えるはずがない。そんな悪い子に育てた覚えはない。父帝の言うことは聞かなくとも、最愛の兄君の言うことは素直に聞いてくれる可愛い子に育てたはずだ。うん。 完全に思考が取り乱しているが、ヴェインは冷静さを一応は取り戻したらしく、部屋の真ん中でピタリと止まった。 先に休んでいなさいとは言った。だが、その間の暇つぶしにラーサーが何をしているか。 ヴェインは部屋に兼ね備えた図書室に向かった。少し通気性が悪いのが難点だが、それなりの蔵書量を誇っている。ヴェインには必要な資料が積まれているが、ラーサーが読んで面白い物が在るだろうか……とヴェインは思う。 図書室の中には、ヴェインの想像通り、ラーサーが居た。夢中で本を読んでいるため、兄の帰還に気づかないようだった。 「何を読んでいる?」 ヴェインの声に気づいてハッとラーサーは顔を上げた。「兄上、お帰りだったんですか?」 「ああ、夜会は終わりだ。………ラーサー。先に休んでいろと言っただろう?」 ラーサーはヴェインに指摘されて、しゅん、とうなだれた。可愛い。ヴェインは口元がにやつくのを必死で堪えながら、ひとつため息を吐いた。 「ごめんなさい、兄上………」 「まぁ、今日は大目に見るとしよう――――それで、ラーサーは何を読んでいたのだ?」 「はい、コレです」 ラーサーが差し出したのは、古い革表紙の本だった。そんなものはこの図書室中にいくらでも在るのだが、内容にヴェインは「ふむ」と頷いた。 夜会の基本的なマナーの本………というよりは、それを書き写した覚え書きのような物だった。 「これは良いものを読んでいる――――これは、ソリドール家の作法の本だ。それを良く読んでいると良い。………ソリドール家には、独特の作法があるからな」 「そうなんですか」 「ああ………たとえば、踊りの時の所作だったり、挨拶でも最上の物とそうでない物は区別がある。女性に対する礼の取り方も違う。………男性の場合はあまり、覚えることもないが、女性は覚えることが多そうだ………母上から、伝える物が絶えてしまったから、もう、女性の伝統というのは廃れていくのだろうがね。母上の優美な姿はいつも、目を奪われていた」 懐かしむようにいうヴェインは、遠い日々を、愛おしそうに思い返していた。 ラーサーは、覚えていない『母上』にお会いしたいと思った。この兄が、こう敬愛する母というのは、どんな女性だったのか。 「……あの、母上は………」 「ん? ああ………とても、美しい方だった。私は、あまり母には似なかったが、お前は、母の面影がある。そう………こんな、絹糸のような美しい黒い髪が印象的で……」 優しい微笑みを浮かべていたあの方が、狂気に揺れる瞳でヴェインを見たのは、遠い昔のようにも、つい昨日のようにも感じる。 「兄上は、母上がお好きだったのですね」 「ああ――――あまり、お会いすることも叶わなかったが、とても、好きだった。………ソリドールの作法は、人の心を掴むための物だ。人を不快にさせず、高圧的にならず、威厳を損なわず………。ラーサーも、程なく勉強することになるだろう」 懐かしむようなヴェインは、ここではない、どこか遠くを見ているようだった。 それは、喪った場所………。帰れない場所。それでも、心が求め続ける場所だ。 ラーサーは、ヴェインの手をぎゅっと握りしめた。ここではないどこかに、兄が行ってしまわないように。 ヴェインはそんなラーサーの様子を悟ったのか、「大丈夫だ」と呟いた。 「兄は、どこにも行かない。………ラーサーの側にいる。ずっとだ」 兄の言葉に、ラーサーは「はい」と答えた。 やはり、兄は、どこか遠いところを見つめているようだった。 vales・end こういうタイプの夜会って帝国にあるんでしょうかね……。 いや、しかし、わたしは、あって欲しい派閥なので、アリの方向で。(笑) 兄上は、ワルツくらいは踊れます程度の踊りスキルで。(付き合いには困らない程度) 私は、ヴェインは結婚とかは全く考えていないと思います。 流石に、27歳なら、縁談の一つや二つあっただろうし、考えもするだろうけど、しなかったんじゃないかと思います。 。 2009.03.17 shino |