lonesome



 弟の行動が、最近、おかしいのはヴェインにも良くわかっていた。
 とりあえず、(年頃だし)と片付けていたが、そう、悠長に構えていられない状況のような気がしてきた。
 あからさまに、『誘われて』いる。
 いくらヴェインでもそれくらいは解る。可愛い弟だが、流石に、そう言う感情で見ているわけではない。かといって、ラーサーの方が、そういう邪な考えで兄を見ているのか……というと、それ以上に、年頃の少年らしい『興味』の方が先立っているように思えた。
 もちろん、それを面と向かって告げれば、頑なに否定するだろうから、とりあえず、ヴェインは『沈黙』を選んだ。
「しかし………」
 ふぅ、とヴェインはため息を吐いた。
 おそらく、おおかたは、弟の部屋にあった書物が多分に影響を及ぼしている。読んだことはないが、内容は何となく知っていた。『素晴らしい殿方と、素敵な令嬢の夢のような甘い恋愛話』ばかりを出版し続けて、全世界の女性達を虜にする魅惑的な文庫。
 ドレイスの部屋にも同じ本があったのを覚えている。おそらく、弟は、その部屋から失敬したのだろう。ドレイスが貸すはずもない。
 目眩く、甘い恋愛。夢のようなセックス………。
 頭が良すぎて些か単細胞な弟の思考は、『尊敬できる素晴らしい完璧な男性』を手近なヴェインに見つけた。
 その際、気づくのは、自分の性別だったわけだが――――そこが根本的に抜けたらしい。
 幸せで甘い恋………確かに、憧れるものかもしれないが、さすがに、弟の『お誘い』は、もう勘弁願いたいところだ。
 何とかする方法……と考えて、ヴェインはさらにため息を重ねた。何とかといっても、たかがしれている。とにかく、自分は恋愛対象などではないということをちゃんと教えなければ。
「……困ったな……」



 ヴェインの懸念を余所に、事件は起きた。
 自室で休んでいたヴェインは、なにやら、もぞもぞと動く感触に飛び起きそうになった。賊ならば、まず、心臓を一突きだ。ということは――――……、と考えてヴェインは頭痛がした。
 弟に夜這いされるとは流石のヴェインも思っても見なかったわけで。
「……ラーサーか?」
 声を掛けると、布団の中からラーサーがもぞもぞと出てきた。
 ヴェインも、なにやら堪忍袋の緒が切れるちょっと前だった。しかし、ここは『良いお兄さん』で居ることを決めて、
「怖い夢でも見たのか?」
 と声を掛けてみた。
 ラーサー、賢い弟ならば、ここは『はい』と応えるべきた所なのだ。ヴェインの思いを余所に、ラーサーは思い詰めた表情でヴェインに身をすり寄せてきた。
 正直、参ったな、とヴェインは思った。流石に、弟に手を出すつもりはない。そこまで不自由していなかったし………正直、欲情するなどあり得ない。
「兄上………」
 切なげな声音に、ヴェインはさらに(参ったな……)と思った。
 ここで無碍に扱って、他のジャッジどもの所に色仕掛けに行かれても困るし、運命の相手を捜す旅に出るなど、どこかブッ飛んだ行動に出られそうで怖い。天才の発想力は、努力の凡人ヴェインには解らない。
「ラーサーは……兄上を、お慕いしています………」
 これがたとえば、本気でヴェインに懸想した(稀な)女性だったとしても、ヴェインは鄭重にお断り申し上げる。
 けれど、ラーサーはそれで納得も満足もしては呉れない。
「……兄上は………ラーサーが、お嫌いですか?」
 また、困る質問をするものだ、と思った。ここで『嫌い』だといえば、多分、明後日にはヴェインの席は帝国にはない。しかし、『好き』だと言ったら、間違いなく、襲われる。
 まさに、生殺与奪を握られて、ヴェインは冷や汗をかいた。困った。どうしよう。
「ねぇ、……兄上……」
 するり、とラーサーの手が夜着に忍び込んで、ヴェインの見かけよりもずっと逞しい胸板を手で撫でた。
 完全に性別を取り違えた所作に、ヴェインは、頭のどこかでブチンと堪忍袋の緒が切れたのを自覚した。
(こういうことをする、悪い子は、お仕置きせねば!)
 す、とヴェインはラーサーの腰に手を回して、華奢な身体を引き寄せた。それは、ラーサーにとって、何よりも雄弁なヴェインの陥落だった。
 ゆっくりと上体を起こしたヴェインは、自分の膝上にラーサーを座らせた。
 緊張からか、期待からか、あちこちに視線を移動するラーサーに、ヴェインはにこり、と笑った。
「ラーサー」
「はい……?」
「お前は、自分が何をしているのか、ちゃんと理解しているのか?」
「……はい……兄上は……ラーサーを、はしたないと思いましたか? でも、ラーサーは……」
 切々と訴えるラーサーの両手を、ヴェインは素早くとらえた。何が起こったのか、理解できなかったラーサーは、目の前で、信じられない光景を見た。
 時折、ヴェインはその髪を束ねるのにリボンを使う。そのリボンで、ラーサーの手首を縛り上げてしまったのだ。
「兄上……?」
「私だったから、この程度で済んでいるものの。――――これが、他の誰かだったら、この程度ではすまんぞ?」
「この程度……? 兄上……?」
「不必要に、男を煽るものではない。――――お前も、そのうち解るようになるだろう」
 ヴェインの言葉の意味を察して、ラーサーは叫んだ。
「なぜですか、兄上っ! 僕は……兄上にだったら………兄上に……して頂きたくて………」
「なぜ?」
 ことさら冷めたヴェインの声に、ラーサーはびくり、と肩をふるわせた。「あ、兄上が………好きだから………」
「好きなら、誰とでも肌を重ねるのか?」
 今まで聞いたこともないような冷たい侮蔑の響きに、ラーサーは俯いた。「兄上も、僕を、お好き………ですよね?」
「お前の言う『好き』ではない。お前は、恋愛対象ではない」
 ぴしゃりと言われて、ラーサーの視界が、うる、と潤った。
「お前も、恋に対するあこがれと、性行為に対する興味だけで、手近な私を対象にしただけだ」
「違います……僕は、兄上が……」
 涙声で、ラーサーは訴えて唇を噛んだ。俯いていたら、急に、視界に兄の手が見えた。「え?」と思う隙も無く、するり、と兄の手が下穿きの中に忍び込んできた。
「っ!!? あ、兄上……っ??」
「『興味』があったのだろう? だったら、コレで十分だ」
 耳許に、冷たい声音が降りる。ヴェインの大きくて温かい手に包み込まれ、擦り上げられ、ラーサーはあちこちに視線を彷徨わせた。
 体中が、ガクガクと震えて、声にもならない。ヴェインの手を、止めることも、逃げることも出来なかった。戒めを解こうとするが、リボン一本で戒められたとは思えないほど、しっかりと結ばれていて、ラーサーの力ではどうにもならない。
 ヴェインの手は、容赦ない攻め方でラーサーを翻弄した。
「っぁ、ぁ、ぁ……っ」
 逃げたくて、腰が蠢く。体中から力が抜ける。泣き叫ぶような喘ぎしか漏れない。
(こんなのいやだ)
 ラーサーはぽろり、と涙を流した。ラーサーが望んでいたのは、優しい抱擁。物語の女主人公のような、幸せな、目眩く甘い一時。こんなふうに、一方的に翻弄されるようなものではない。
 兄の表情は解らなかったが、今まで見たこともないような、侮蔑を浮かべているのだろう事は、たやすく理解できた。
(いやだ……)
「やっ……あに、うえ……っ兄上………ったす……もう、ゆるし……」
 ぐすぐすと泣きじゃくり始めたラーサーだったが、ヴェインは止めなかった。
 別に頭に血が上っていたわけではないが、とりあえず、二度とばかげた誘惑をしないように、一度、懲らしめてやる必要があると踏んだのだ。
 無言で、手を動かして翻弄し続けるヴェインの手の動きに、ラーサーは気が狂いそうになるほどの快楽を覚えた。強烈すぎる快楽に、ラーサーの瞳が焦点を喪いかけて、また、きつく握り込まれて意識を取り戻す。
 何十回と無く繰り返され、声も枯れ果てた頃、ラーサーはやっと解放された。
 ヴェインは涙と……唾液でぐしゃぐしゃになった顔をみて流石に罪悪感を覚えたが、それも仕方がなかった。
 ヴェインはラーサーの手の戒めを解く前に、ラーサーをベッドに横たえた。
 思っても見ない行動に、ラーサーはびくっ、と震えた。
「あ、あ、あ、あ、ぁっ………」
 がくがくと震えて、ラーサーは呟く。『兄上』と言いたいらしいが、それも無理なようだった。
 恐怖のあまりに動けずにいるラーサーを余所に、ヴェインは手元の灯りを付けた。ラーサーの恐怖に引きつった顔など見たくはなかったが、仕方がない。一度隣室に消え、ヴェインは暖かいタオルを作って戻ってきた。ラーサーの足を広げさせ、下穿きを奪うとラーサーはこれ以上はないというほど真っ赤になって、キレそうなほど唇を噛み締めて、ぽろぽろと涙を流した。
 暖かいタオルで、汚れたそこを綺麗に清めてやると、ラーサーは、これ以上をされるわけではないとほっとした反面、あられもない姿を明かりの下に晒してしまった羞恥で小さく震えるのがやっとだった。
 リボンの戒めを解かれたラーサーは、布団を頭から被ってヴェインから顔を背けた。
「………ラーサー」
 返事はなかった。が、ヴェインは続けた。
「お前は頭がいいから、知識と、感情が追いついていかないようだ。――――お前も、教わっただろうが、これは、子供を作るのが第一目的の行為だ。……どうせ、結婚するにしても、相手の方を選ぶ自由もないのだろうがな」
 フッと自嘲気味に笑ったヴェインに、ちょこっ、とラーサーは布団から首を出した。ヴェインは、寝台の端に腰を下ろし、月を見上げていた。
「確かに甘い恋物語や、幸せなセックスは………羨ましいがね」
「兄上は……お好きな女性などは……?」
「いないよ。――――と言い切るのも、寂しいもんだ」
 ふふ、とヴェインは笑った。女性は、ヴェインの心を埋めては呉れなかった。
「………こういう事は、多分、好きな女性とするのが一番だ」
「兄上も……ロマンチストなんですね」
「そうだな………ロマンチストかもしれないな――――今はまだ、興味本位でしなくても良いだろう? まだ、子供なんだ……子供で居なさい。大人になったら、嫌でも大人でいなければならないのだから」
 ヴェインは寂しげに呟いた。ラーサーは、なんとなく、思った。自分がこの兄に惹かれていたのは、この兄が完璧だったからではないと。
 こうして、ひとり、心に闇と虚無を抱いて生きる、不完全な人だから、この兄に惹かれたのだと。
 この人が、孤独だから、寂しそうだから………この人に触れて、肌を確かめたかったのだと。
 けれど、この気持ちは、この誇り高き兄にとって、何よりも屈辱だろう。ラーサーは、自分の中に浮かんできた『答え』に、涙が出た。
 優しくしてくれるたび、その優しさが痛いと思うことがあった。それは、この人が、欲しくても貰えなかった優しさを、自分に与えているからだと気が付いたから。
 この人が、自分を優しくしてくれるのは――――愛して、慈しんでくれるのは、小さな頃の自分を、愛して欲しかったから。過去の自分に対する代償行為を、ラーサーにしているから。
(ねぇ、兄上……だから、僕はきっと、あなたとひとつになりたかったんです)
 そうすれば、愛して欲しかった自分を、肯定すれば、兄の孤独は癒されるだろうから。もう、『孤り』だと思わなくても済むだろうから。
 けれど、きっと、ヴェインはそれを否定する。だから、ラーサーは口にはしない。
「兄上」
 ラーサーは呟いた。涙声だった。
「ん?」
「兄上は、否定なさるかもしれませんが………僕は、興味本位で、兄上と一つになりたかったわけではありません。兄上が……」
 好きだから、寂しそうだから、辛そうだから、苦しそうだから。
 ほんの一時、この身体を求める間だけでも、あなたを苦しめる全てを忘れて欲しいと思うから。
 言葉にせずに、ラーサーは瞼を閉ざした。
 ヴェインは、そのラーサーの頭を優しく撫でてやる。
「眠りなさい。………そうしなさい。たぶん、それが正しい」


 この気持ちは、やはり恋だ、ラーサーは、そう思った。






lonesome・end





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ラーサー様は謎の行動力があるので、きっと、兄上に夜這いぐらい掛けると妄想(笑)
先に兄上に何かしちゃった方が、兄上を落とすのはラクな気がする(笑)

2009.03.21 shino